原子爆弾とは〜注49

公開: 2019年8月31日

更新: 2019年8月xx日

注49. 天津日本租界と天津日本租界事件

1860年から1947年までの間、イギリス、フランス、アメリカ、ドイツ、イタリア、ロシア、そして日本などの国々が、清国や中華民国との不平等条約や協定を結び、中国東部の海岸に面した天津の旧市街の南東部に設定した行政自治権と、中国の法律が適用できない治外法権を設定した租借地を天津租界(てんしんそかい)と呼びます。租借地とは、ある国の領土の一部に、他の国が自国の法律を適用できる地域(植民地)を、条約や協定で一定の期間、借り受けた土地を言います。

1860年にアヘン戦争に負けた清国は、イギリスとの北京条約に基づき、天津港を開港しました。イギリスとフランスは、天津に租界を設置しました。1895年、ドイツは天津にドイツ租界を設置し、1996年に、日清戦争に勝った日本は、日本租界を設置しました。この日本租界は、第2次世界大戦に日本が負けるまで維持されました。

1935年5月2日、天津日本租界のホテルに泊まっていた親日派の新聞社社長夫妻が、自動車で乗り付けた2人組にピストルで暗殺されました。5月3日、親日的な新聞社の社長が自宅で寝ているところ、2人組が押し入りビストルを発射、社長は暗殺されました。このテロ事件を天津日本租界事件と呼びます。この事件は、日本国内でも報道されました。

参考になる読み物